もともとは、楚の時代の重臣であった屈原と言う将軍の供養から始まった物です。皇帝を諌めたため、皇帝の反感を買い、結果、暗殺され、遺体は河に捨てられました(泪羅河)。屈原は民衆に慕われていたため、それを知った民衆が遺体が魚に食べられないように1)ドラムを叩いて魚を散らす2)その他の餌(団子)を河に投げ込む を始めました。それが中国での端午の節句です。
ちなみに、日本での端午の節句の意味(子供の成長を望む等)は、全くないとの事です。
どこかで疎通がうまく行かなかったのでしょう。日本では、鎧兜を飾り、男の子の成長を望み、餅を食べるようになりました。面白い物です。