Sunday, November 22, 2009

端午の節句

もともとは、楚の時代の重臣であった屈原と言う将軍の供養から始まった物です。皇帝を諌めたため、皇帝の反感を買い、結果、暗殺され、遺体は河に捨てられました(泪羅河)。屈原は民衆に慕われていたため、それを知った民衆が遺体が魚に食べられないように1)ドラムを叩いて魚を散らす2)その他の餌(団子)を河に投げ込む を始めました。それが中国での端午の節句です。

ちなみに、日本での端午の節句の意味(子供の成長を望む等)は、全くないとの事です。
どこかで疎通がうまく行かなかったのでしょう。日本では、鎧兜を飾り、男の子の成長を望み、餅を食べるようになりました。面白い物です。

2 comments:

Anonymous said...

初めてコメントさせていただきます。
日本にも端午の節句には意味由来があったと思います。確か奈良時代以前、男性が戸外に出払う時、女性だけが家の中に閉じこもって、田植えの前に穢れを祓い身を清める儀式を行う五月忌みという風習があったそうですが、これが中国から伝わった端午と結び付けられたと学生の時に学んだ記憶ですが…。
元々女性の節句で、その儀式に「菖蒲」を使っていたのが葉の形が刀に似ていて「尚武」と結び付けられ、鎌倉時代に武家の男子の成長を願う、現在の「端午」に変わっていった…。違ってたらすみません!

Kuro said...

コメント、有り難うございます。
”菖蒲”と”尚武”、言葉遊びが文化を作ってきたようですね。とても興味深いです。
色々中国の文化を紹介していきます。私も学びたいので、是非コメントしてください。よろしくお願いします。